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東京地方裁判所 昭和60年(ワ)8930号 判決 1987年5月29日

原告

黒澤セイ

被告

三和交通株式会社

主文

一  被告は、原告に対し、四一八万三四四〇円及び内四一五万四五二〇円に対する昭和五九年四月一五日から、内二万八九二〇円に対する昭和六一年五月六日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は、主文第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

1  被告は、原告に対し、四六六万五四八八円及び内四六三万六五六八円に対する昭和五九年四月一五日から、内二万八九二〇円に対する昭和六一年五月六日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

原告は、昭和五九年四月一四日午後八時五五分ころ、訴外刑部忠好(以下「刑部」という)運転のタクシー(足立五五か四一八、以下「加害車」という)助手席に乗車して走行中、東京都台東区浅草五の七三先交差点(以下「本件交差点」という)を右折した際、助手席のドアが開いたため路上に転落し、受傷した(以下「本件事故」という)。

2  被告の責任原因

被告はタクシー会社であるところ、

(一) 加害車を所有し、自己のため運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という)三条に基づき、

(二) 原告との間で運送契約を締結し、原告を安全に運送すべき安全配慮義務を負つていたから右義務違反に基づき、本件事故により原告が被つた損害を賠償すべき責任がある。

3  傷害と治療の経過

原告は、加害車から転落した際、アスフアルト舗装の路面に顔面等をたたきつけられ、顔面・頭部打撲挫創、眼窩外縁打撲、左膝関節捻挫等の傷害を負い、昭和五九年四月一四日から同年五月九日まで二六日間山田病院に入院して治療を受け、右退院後も同年一一月二八日まで同病院に通院し(実日数一〇日)、この間同年五月二八日から同年八月一三日までの間(実日数二六日)左顔面打撲后療と左膝関節捻挫の治療のため日本堤整骨院に通院した。また、原告は、本件事故から十数日後の右山田病院入院中左眼硝子体剥離、飛蚊症の症状を呈したため、山田病院入院中の同年五月八日同愛記念病院で受診し、更に、同年九月七日菅原眼科クリニツクでも治療を受けたがその後も右飛蚊症に悩まされ続け、視力の低下も来たすに至つたところ、昭和六一年になつて井上眼科病院で改めて診療を受けた結果、左硝子体剥離、飛蚊症は前記タクシーから転落し、頭部、顔面を路面に強打した際生じた両眼網膜周辺部裂孔に基因するもので失明が必至であることが判明し、同年五月六日同病院で手術を受け、失明の危険は免れた。

右のとおり、原告は長期にわたつて本件事故による直接間接の傷害の治療を受けたが後遺障害として左眼眼瞼の外眼角一ないし二ミリ短縮変形と眼瞼上部に四・五ミリメートルの醜状痕が残つたほか、回復の見込めない視力の著しい低下(左右各〇・二、矯正左右各〇・八)を来たし、今なお飛蚊症に悩まされている。

4  損害

(一) 治療費 四万九六四〇円

前記受傷による治療費として合計九〇万九四九〇円を要したが、このうち八五万九八五〇円について被告から填補を受けたので、残りの四万九六四〇円を本件と相当因果関係のある損害金として請求する。

(二) 付添看護費 填補ずみ

原告は付添看護費として一五万四七一四円を要したがすべて被告の填補を受けている。

(三) 文書費 三〇〇〇円

(四) 入院雑費 二万六〇〇〇円

(五) 休業補償費 二一万六九七〇円

原告は、本件事故当時六一歳であつたが、健康状態は良好であり、主婦であるとともに自宅一階で碁会所を営み、席料として土曜・日曜は一日平均一万円、平日は平均六〇〇〇円の収入(必要経費は水道光熱費が主で右収入の三割程度)を得ていたものであるから、家事労働分も含め、少なくとも昭和五八年度賃金センサスによる同年令女子労働者の平均給与年収二〇六万二一〇〇円を下回らない収入を得ていたものとの評価を受けるべきものであるところ、本件事故の日から昭和五九年一一月二八日に一応通院治療を打ち切るまでの約六か月半の間右の収益をあげるだけの労働遂行能力を喪失したものであるから、この間の休業補償として一一一万六九七〇円を請求する。

(六) 逸失利益 一九二万九八七八円

原告の後遺障害の程度は、自賠法施行令二条別表所掲の後遺障害等級(以下単に等級のみで表示する)一二級一号及び一四号に該当し、労働能力喪失率は一〇〇分の一四とみるのが相当であるから、昭和五九年一一月二八日以降八年間を稼働可能期間とみて、中間利息控除につきホフマン方式(係数六・五八九)を採り逸失利益の現価を計算すると一九二万九八七八円となる。

(七) 入通院慰謝料 一一二万円

本件事故の態様・これにより原告が被つた傷害の内容・程度(事故後相当の期間顔面が醜く腫れあがるなど苦痛のうちに長期の入通院を余儀なくされた)、事故後の被告の不誠実極まりない対応等を考慮すると、この間の原告の精神的苦痛に対する慰謝料として一一二万円を算定するのが相当である。

(八) 後遺障害慰謝料 二〇九万円

原告の後遺障害の内容と程度その他諸般の事情を考慮すると、右による原告の精神的苦痛に対する慰謝料は六七二万円が相当であるが、他の損害請求が維持されることを前提にこのうち少なくとも二〇九万円が認められるべきである。

(九) 弁護士費用 四二万円

(一〇) 自賠責保険等からの填補 二〇九万円

原告は、自賠責保険から二〇九万円の支払を受け、右限度で損害が填補されているから、残損害として賠償を求める額は四六六万五四八八円となる。なお、原告は右のほかにも、被告から治療費八五万九八五〇円及び付添看護費一五万四七一四円(計一〇一万四五六二円)の支払を受けているが、右については前記の右損害該当項において控除ずみである。

5  よつて、原告は、被告に対し本件交通事故による損害賠償金四六六万五四八八円及び内四六三万六五六八円に対する本件事故の日の翌日である昭和五九年四月一五日から、内二万八九二〇円に対する昭和六一年五月六日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告の認否及び主張

1  請求原因1(事故の発生)の事実は認める。

2  請求原因2(責任原因)は、(一)につき被告がタクシー会社であり、加害者の運行供用者であること、(二)につき原告主張の運送契約を締結し、乗客である原告を安全に運送すべき義務を負つていたがこれを履行しなかつたことはいずれも認めるが、後記のとおり、右事故は専ら原告の過失により発生したものであり、刑部には過失はないから、被告の損害賠償責任は争う。

3  同3(傷害と治療の経過)の事実は不知。

4  同4(損害)の事実は不知。ただし、損害の填補に関する(一)、(二)及び(一〇)の事実はいずれも認める。

5  同5の主張は争う。

6  被告の主張

(一) 免責

(1) 自賠法三条の責任について

加害車の助手席の扉は、原告が閉めたものであるが、仮にいわゆる半ドアの状態であつたとしても、遠心力等が加えられてもドアが開扉することはあり得ない構造になつている。ところで、原告は助手席に同乗中ドアに背をもたせかけて、顔を後部座席に向け、後部の乗客と談笑中に右ドアが開扉したものであるところ、右述のとおり、構造上右折に際して生じる遠心力の作用によりドアが開く可能性は皆無であつたから、結局、本件事故は、前記右折の際原告が助手席のドア・ハンドルを引くなどしてドアを開けたこと以外に原因を見い出せないものであり、原告の一方的過失によつて発生したものである。

したがつて、刑部には、本件事故発生につき何らの過失はないし、加害車には構造上の欠陥も機能上の障害もなかつたのであるから、被告は自賠法三条但書により免責されるべきである。

(2) 運送契約上の債務不履行責任について

右(1)のとおり、本件事故は、原告の一方的過失により発生したものであり、被告の乗客である原告を安全に運送する債務の不履行は、被告の責に帰すべからざる事由によつて生じたものであるから、被告には右債務不履行責任が生じる余地もないことが明らかである。

(二) 過失相殺

仮に免責の主張が理由のないものであるとしても、本件事故発生に原告の過失(原告がドア・ハンドルを引かない以上本件事故が発生しなかつたことには変わりない)が大きく作用しているものであるから、賠償額の算定に当たつては、右の点が十分にしんしやくされ、大幅な減額がされるべきである。

(三) 損益相殺

原告も自認するとおり、原告は、本件事故につき自賠責保険から二〇九万円、被告から一〇一万四五六二円(治療費八五万九八五〇円、付添看護費一五万四七一二円)を受領している。したがつて、右の限度で原告の損害は填補されている。

三  被告の主張に対する原告の認否

免責、過失相殺の主張はすべて争う。被告主張の損害の填補額は既に原告も認めているところである。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証及び証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  請求原因1(事故の発生)の事実は当事者間に争いがない。

二  請求原因2(責任原因)について、被告は、(一)のうち被告が加害車の運行供用者であること、(二)のうち運送契約締結の事実、これに基づき原告を安全に運送すべき債務を負つていた事実及び右債務不履行の事実は認めるが、本件事故は専ら原告の過失によるものであるとして各責任原因につき免責を主張し、損害賠償責任を争うので、まず、自賠法三条の責任関係の成否から判断する。

1  弁論の全趣旨により成立の真正を認める乙一号証の一ないし五、三号証、本件事故当時の加害車を撮影した写真であることが認められる乙二号証、証人刑部忠好、同村中行雄、同萩原栄治の各証言(ただし、証人刑部の証言中後記措信しない部分を除く)、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、

(一)  本件交差点は、三ノ輪方面から馬道方面へ通じる幅員約一七メートルの道路(以下「本件道路」という。)と東浅草方面から浅草方面に通じる幅員約九メートルの道路(以下「千束通り」という)とが交差する地点である。右のとおり、千束通りの方が幅員が狭いため、本件道路から千束通りへの右折は、相当急角度にハンドルを転把しなければならない。

(二)  原告は、昭和五九年四月一四日午後九時前ころ、本件道路の吉原大門付近(本件交差点から三ノ輪方面へ三〇〇メートルのあたり)で、娘郁子(以下「郁子」という)及び知人の男性二名と共に千束通りにある知合いの喫茶店に行くため、折から乗客を求めて俗にいわゆる流しをしていた刑部運転の加害車タクシーを止め、原告が助手席に、残りの三名が郁子を中にして後部座席に乗車した。原告は、右乗車の際、刑部が中から助手席のドアロツク・ノブを引き上げた後、自分でドアを開けて乗り込み、ドアを閉めたが、ドア・ロツク・ノブを再度下ろしてドアをロツクすることはしていない。なお、原告ら四名は、右乗車前レストランで少量の酒類を口にしているが、酒に酔つているなどという状態ではなかつた。

原告は、乗車後間もなく後部座席の郁子の方へ首を向け、身体の右側面を助手席の座席背もたれに付けるようにして、ドアを背に横向きの状態で両手を膝に置き、同人と談笑を始めていたところ、本件交差点を右折する際、全く予期しない急激な遠心力作(後記加害車の速度及び開扉の事実から相当強い遠心力が働いたものと推認される)により、左後方に振られるように助手席ドアに肩ないし背部から激しくぶつかり、押しつけれ、右ドアが開くとともに車外に放り出され、路面に顔面等をたたきつけられた。右転落は瞬時のことであり、原告は転落の際声をあげる間もなく、また、ドア等につかまつて引きずられた形跡もうかがわれない。なお、右の右折の際、後部座席の郁子ら三名も座つたまま左側に強く押しつけられ、横倒しになつている。

(三)  他方、刑部は、原告らから行先を千束通りの喫茶店と告げられると、急発進して加速進行し、本件交差点の信号が青色を表示し、対向車両もなかつたことから、タイヤのきしむ音を立てながら交差点の右折時の速度としては相当な高速度で(刑部自身時速三〇キロメートルを超えていた旨述べており、乗客らの様子などから時速四〇キロメートルを超えていたことも十分推認し得るところである。手慣れの運転者にとつては、右程度の速度下の右折は、右折前にアクセルをゆるめ加減にし、右折とともに加速することによつてさして困難なことではないことが経験則上うかがわれるところである。もちろん、かかる右折が危険であることは別である)右交差点の右折にかかつたが、右折の際、前記のとおり原告を車外に放り出したにもかかわらず全くこれに気付くことなく右折を了し、更に千束通りへ向けて走行を続けようとしたところで、郁子の「運転手さん、止めて」と叫ぶ声を耳にして本件交差点を出た付近で急停車し、ようやく右転落の事実に気付いた。

なお、刑部は、原告がドアを閉める音は聞いているが、その際これが完全に閉められた音であるかどうかについては十分な注意を払つておらず、また、ドアの閉まり具合について確認はしていない。

(四)  加害車は、昭和五七年一一月に新車登録され、以来本件事故時まで約一年五か月タクシーとして使用されていた。ドア・ロツクは二段構造になつており、ドア・ロツク・ギアによつてロツクされ(右ギアがかかり、施錠されること。以下同じ)、右ギアが一段かかつてロツクされた状態がいわゆる半ドアであり、二段目までかかるとロツクは二重になり完全にドアが閉つた状態(以下便宜「完ドア」ということがある)となる。右ロツクの状態は、単にドアを閉めることにより自動的に達成されるがきちんと閉めないと半ドアの状態にとどまることがある。そして、一たんロツクされたドアは、完ドアの状態の場合はドア・ロツクを壊さない限り、内部からでも外部からでもこれを開けることはできない。また、半ドアの状態であつても、少々の圧力では容易に開くものではないが、被告の従業員である二級整備士(体重六〇キログラムの男性)が加害車の助手席に坐つた状態で体当たりするようにして圧力を加えるとドアが開いたことが本件事故後、被告の整備工場における実験により明らかにされている。なお、右の際に加害車のドア・ロツクには故障がなかつたことも確認されている。

また、ロツクされた状態(半ドア、完ドアいずれの場合でも)での開扉は、車内からはドア内側に設置されているドア・ハンドルを引くことにより、外からは内側のドア・ロツク・ノブを引き上げてドア・ロツク・ギアを外すことにより可能となる。ドア・ハンドルは、ドアの内側、肘掛けの延長上の高さに設置され、中抜きの小さな四角い形状をしており、これに指先を引つかけて内側に引く仕組みのものである。大人の手ではいわゆるつかんだり握つたりはその大きさ、形状から極めて困難である。

なお、当時加害車には、助手席については、完ドアに至らない状態(半ドアないしおよそロツクされていない状態)の場合、これを運転者に知らせる警告燈などの装置は設置されていなかつた(刑部が現在使用しているタクシーには設置されている)。したがつて、半ドアであるかどうか等ドアの閉り具合は、運転者が視認して確認するか、ドアを閉めるときの音の感じや走行中のドアのガタつきなどによつて知るしかない。また、助手席側ドアの上部ないし天井付近には後部座席にあるような取手(乗客が走行中左右に振られるなどした場合身体を支えるためにつかまるもの)は当時一般に普及しておらず、加害車にも設けられてはいない。

以上の事実が認められ、証人刑部の証言中右認定に抵触する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  そこで検討するのに、原告の転落原因すなわち助手席ドアが開いた原因としては、(一)ドアが全くロツクされていなかつたために原告が遠心力の作用により振られてそのまま転落した場合、(二)ドアはロツクされていた(半ドア又は完ドア)が原告がぶつかつた衝撃により、又は原告がドアに押しつけられた際ドア・ハンドルを誤つて操作したことによりドアが開いた場合が想定されるところ、前記認定事実によれば、原告は一応ドアを閉めており、その際ドアは自動的にロツクされているはずである(ロツクに故障はなかつたことは被告も強調しているところである)から、少なくとも半ドアの状態には達していたものと推認しなければならず、右(一)の場合は本件に該当しない。次に、(二)の完ドアの状態では、ドア・ロツクに瑕疵がなかつたと認められる以上、原告がドア・ハンドルを誤つて操作したのでない限り、遠心力作用がドアに働き、また原告の身体がいかに強くドアにぶつかつたとしても、これによりドアが開くことは到底考えられないところであるから、右の場合も本件開扉の原因から除外されるといわなければならない。さらに、原告がドア・ハンドルを引いたことによる場合(被告の主張する開扉原因)を検討してみるに、前記認定の原告の(着席)姿勢、そして原告は右体勢から不意をつかれ急激な右折により生じた遠心力作用でドア側に振られ、声をあげる間もなく瞬時に車外に転落していること、ドア・ハンドルの大きさ、取手の構造、六〇歳の女性である原告の反射的行動能力などを考慮すると、右転落の際に偶然にであつても原告の手がドア・ハンドルに触れ、あるいは指が中抜きのドア・ハンドルに差し込まれてこれを引くなどという所為を反射的にとつたと推定するのはいかにも不自然なことといわざるを得ない。したがつて、原告がドア・ハンドルを引いたことを開扉の原因と認めることも困難といわなければならない。

そこで、最後に半ドアの状態で、ドア・ハンドルの人為的操作の介在はないが、遠心力作用により原告がドアにぶつかつて開扉した場合の検討であるが、被告は右の場合について実験の結果起こり得ないことが判明しているという。しかし、右の実験なるものは加害車を本件事故時と同様に走行させ、事故時の状況を再現して行つたものではなく、静止状態で車の内外からドアを押したり引いたりしたという程度のものであり、しかも、被告の従業員である整備士が助手席に座つた状態で体当りしたところ、ドアは開いたというのである。すると、他の開扉原因が否定されあるいは多大の疑問が残るのに対し、半ドアであつても、急激な右折により生じた遠心力作用により、ドア自体が加重を受けて外側へ引つぱられているところに、同じく加重を受けた状態で原告の身体がぶつかり、押しつけられ、そのためにドアが押し開けられたことは容易に首肯し得るところというべきである。すると、本件事故は、刑部が発進時に助手席ドアの閉り具合の確認を怠つた上、右折に際し徐行を怠り不適切な高速走行を行つたことにより発生したものといわなければならない。

3  以上のとおりであり、刑部は、自動車運転者としての極めて基本的かつ重要な注意義務すなわち安全運転義務(道路交通法七〇条)、乗降口を完全に閉じる等同乗者の転落防止措置を講ずべき義務(同法七一条四号)、交差点右折通行時の徐行義務等にことごとく違背して本件事故を発生させたのであるから、同人の無過失を前提とする被告の免責の主張は、その余について判断するまでもなく失当であり、採用の限りではない。なお、付言するのに、仮に被告主張のごとく原告がドア・ハンドルを引いたとして、これが開扉の原因であるとしてみたところで、右は刑部の徐行義務、安全運転義務に著しく違背する乱暴な右折走行のために原告が身体を支えようとしてとつさに強いられた偶発的な所為というべきであるから、その責任は挙げて刑部にあり、原告に非難されるべき落度はないものといわなければならず、いずれにせよ被告の免責を認めるべき余地はないものというべきである。

したがつて、被告は、自賠法三条に基づき、本件事故により原告が被つた損害を賠償すべき責任があるものといわなければならない。

三  進んで、損害について判断する。

1  原告の被つた傷害と治療の経過等

前記認定事実に成立に争いのない甲一ないし五号証、一一、一二号証、一七号証(四、五、一一、一二号証は原本の存在とも)、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故により請求原因3主張のとおり傷害を負い、右治療のため入通院を余儀なくされ、後遺障害に悩まされていることが認められ(受傷の態様―走行中の車両から転落し顔面をはじめ全身を路面に強打したもの、視力低下、飛蚊症発症の時期等から右認定の入通院治療、後遺障害はすべて本件事故と相当因果関係があるものと認めるのが理に適うものというべきである)、右認定を左右するに足りる証拠はない。

そこで、以下に右認定事実を踏まえて原告の損害額を項目別に算定することとする。

2  損害

(一)  治療費 四万九六四〇円

成立に争いのない甲六ないし九号証、一三ないし一五号証によれば、原告は本件事故による眼の治療(含手術)費として菅原眼科クリニツク、同愛記念病院及び井上眼科病院に対し合計四万九六四〇円を支払い、右相当の損害を被つたことが認められる。なお、当事者間に争いのないところによれば、原告は右のほか治療費として八五万九八五〇円を支出し、その金額について被告から填補を受けている。

(二)  付添看護費 填補ずみ

原告は付添看護費一五万四七一四円の支出を余儀なくされたが、右につき被告の填補を受けている(当事者間に争いがない)。

(三)  文書費 三〇〇〇円

成立に争いのない甲一〇号証によれば、原告は山田病院に対し診断書等文書料として三〇〇〇円を支払い、右相当の損害を被つたことが認められる。

(四)  入院雑費 二万〇八〇〇円

諸般の事情により、入院二六日間を通し、一日八〇〇円の割合で合計二万〇八〇〇円の入院雑費相当の損害が発生しているものと認める。

(五)  休業補償費 七〇万円

前記受傷及び入通院の経過に原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、原告は本件事故当時六一歳で、主婦として家事一切を取り仕切るとともに、自宅一階で碁会所を営み席料による収入を得ていたが、本件事故に遭遇して以来約一か月の入院及び退院後の相当な期間就業が適わず、その後も一応の症状固定とみられる昭和五九年一一月下旬の通院治療の打切りのころまで通院(合計三八日)及び傷害の影響(殊に眼の障害は右の間は、原因も判然とせず治療もはかばかしくなく悪化の一途をたどつていた)のため就業に大幅な制約を余儀なくされ、これらのために相当の休業損害を被つたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

そこで、右の事実を踏まえ、原告の基礎年収を二〇六万二一〇〇円(昭和五八年度賃金センサス同年齢女子労働者の平均年収に相当する額であるが、碁会所の収入も考慮するとき、原告の収入は少なくとも右平均年収を下回るものではないと推定すべきである)と認め、休業期間ないし就業制限の程度につき、就業の内容、傷害の内容・程度を考慮して、本件事故日からおおむね二か月間は就業困難と認めて完全休業とみなし、その後四か月間を5割程度の就業制限を被つたものとみるのを相当と認めた上で、諸般の事情を考慮し、七〇万円を原告が本件事故により被つた休業損害と認める。

(六)  逸失利益 一六〇万円

前記認定のとおり、原告は、一応の症状固定日とみる昭和五九年一一月二八日以降も、視力の著しい低下のみならず、飛蚊症による神経障害類似の障害のため相当の稼働能力の減退を来たしたものと推定すべきところ、昭和六一年五月に眼障害の原因が判明し、手術を受けたことによりようやく視力低下は固定し(右裸眼視力〇・三左同〇・二、右矯正視力〇・九、左同一・〇―昭和六一年八月現在・前掲甲一七号証による)、失明は免れたが、飛蚊症は消失せず今日に至るも常に右症状に悩まされ、将来も改善の見込みはないというのであるから、原告の年齢、就業内容を考慮し、昭和五九年一一月二八日から八年間につき一〇パーセント程度の労働能力喪失を認めるのが相当というべきである。そこで、前説示の年収額二〇六万二一〇〇円を基礎にし、中間利息控除につきライプニツツ方式を採用した上で、右の間の逸失利益を一六〇万円と認定するのを相当と認める。

(七)  慰藉料 三五〇万円

本件事故の態様及び重大性(本件事故は偶々走行車両がなかつたため前記認定程度の傷害を生ぜしめるにとどまつたのであり、事故の態様、発生場所等に照らし死亡事故に至る危険性が極めて高かつたものというべきである)、原告の受傷の内容・程度、入通院等治療の経過、後遺障害の内容・程度(六〇歳を過ぎ、急激な視力の低下をもたらされた上、今なお常時飛蚊症による苦悩を強いられている原告の精神的苦痛は軽いものではないというべきである)、審理過程における紛争解決のための被告の対応(本件事故は、走行中のタクシーから乗客が放り出されるという極めて特異かつ重大な事故であり、運転者刑部の過失をも合わせ考えるとき、同人が刑事訴追を受けなかつたのは不思議というほかないが、この間の事情として、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告が被告の申し出に係る民事責任の誠実な履行を信頼して宥恕の意を表したことから、警察において刑部の刑事責任の追及を差し控えたことが推認されるのであり、かかる事情に加えて、乗客から対価を得て旅客運送事業を営む被告が、本件事故発生の経緯を素直にみれば免責等の認められる余地などあり得ようはずのないことが明白というべき事故であるにもかかわらず、紛争の早期解決に積極的姿勢を示さなかつたことは是認し難いところである)その他本件審理に顕れた一切の事情をしんしやくし、本件事故により原告が受けた精神的苦痛に対する慰藉料は三五〇万円をもつてするのが相当というべきである。

(八)  弁護士費用 四〇万円

弁論の全趣旨によれば、原告は被告が任意に本件損害賠償責任を履行しないためやむなく本訴の提起、追行を原告訴訟代理人に委任し、相当の報酬等弁護士費用の支払を約束したことが認められるところ、本件事案の内容難易度、審理の経緯、認容額その他諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害金は四〇万円と認めるのが相当である。

(九)  過失相殺の主張について

被告は、本件事故は原告がドアー・ハンドルを引いたことにあるとして、右に基づき過失相殺の主張をするが前説示のとおりかかる事実は認め難く、また、仮に原告にかかる所為があつたとしても、原告を非難すべき筋合いのものではないことも既に説示したとおりであるから、被告の過失相殺の主張は理由がなく、採用の限りではない。

(一〇)  損害総額 四一八万三四四〇円

以上の損害額は六二七万三四四〇円となるところ、原告は自賠責保険から二〇九万円の支払を受け、これを右損害に充当することを自認するので、結局原告が本件事故により被つた残存損害額は四一八万三四四〇円となり原告は被告に対し、自賠法三条に基づき、右賠償額の支払を請求することができる。

四  よつて、原告の本訴請求は、被告に対し、四一八万三四四〇円及び内四一五万四五二〇円に対する本件事故の日の後の日である昭和五九年四月一五日から、内二万八九二〇円に対する昭和六一年五月六日から各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容するが、その余の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤村啓)

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